ふたば未来学園の日々

ドイツ研修⑥

ドイツ研修6日目(現地時間1/10(金))、本日は、 前日に引き続き両校からのプレゼンを実施したのち、 ミュンヘン市内のレジデンツとダッハウ強制収容所にて研修を行い ました。


レジデンツは旧バイエルン王国の宮殿です。 14世紀から時代の変遷により変わっていくデザイン様式なども見 ながら、当時の王宮の様子を見学しました。


昼食後、Ernst Mach Gymnasium(EMG)の生徒と別れ、 ダッハウ強制収容所に電車とバスを乗り継いで行きました。 強制収容所というと歴史的な負の遺産であり、 周囲には何もない印象を持っていましたが、 行ってみると普通の街で近くには住宅もたくさんありました。


今回は、 交流の窓口になってくれているEMGのKonstantz先生が ガイドを務めてくださいました。


まず入口には「ALBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)の文字が入った鉄格子が。 実際には働いても外に出られることはほぼ無かったのですが、 この言葉で労働者の希望を煽っていたとのことでした。


強制収容所の本館には設立の経緯や実際の収容所内の様子が詳細に 展示されており、 生徒たちは真剣にKonstantz先生の話を聞きました。

 

 ヒトラーが支持されることになっていった歴史背景

 

収容所の貧しい食事

 

収容所のなかでも希望を捨てない人たちの活動

 

解放時の人たちの様子

 

収容所のベッド。 収容者数が増えるごとにベッドの仕様も簡素になり、 ぎゅうぎゅうに詰め込まれた。

 


遺体の焼却施設にはガス室も設置されましたが、 ダッハウでは実際に使われることはなく終戦になったとのことでし た。それでも実際のガス室見学はとても重いものでした。


最後にプロテスタント系の教会(後に建てられた鎮魂施設)で、 この教会のデザインに込められている思いを聞きながら、 ろうそくを捧げました。


Konstantz先生は本校生の実情を踏まえつつ、 とても丁寧に、また熱心に説明をしてくださいました。 ありがとうございました。


以下、本日の生徒の感想です。

ドイツはワイマール憲法でも知られるように、 元々は優れた民主国家でした。そこにヒトラーが現れたこと、 そしてヒトラーの戦略( ユダヤ人を働かせる代わりに国民の保証をしたことなど) に国民はそのまま乗せられてしまったこと、 これらによって民主国家は崩れてしまいました。 そしてナチスドイツの悲劇は始まるのです。

現在の日本も民主主義を唱えています。 ここまではいかないかもしれないけれど日本も誰かの独裁状況にな る可能性があるということです。一人ひとりが各々考えをもち、 はっきりした意思表示をすることが日本人に必要だと感じました。

また、過去の記憶を引き継いでいく、それが大切です。 この収容所は、負の遺産です。もちろん日本にもあります。 もし記憶が風化していったら、 せっかくの教訓など意味がなかったことになります。 負の記憶を伝え続けるのは私達の使命ではないでしょうか。(IS )

 


僕は、 強制収容所のことは福島に似ている部分があると考えました。 二度と同じ過ちを繰り返さないために、という意味ですが、 ドイツも福島も全てが間違いだということはありません。 正しい道を進んだはずなのにどこかで道を間違えてしまったのです 。 その間違いを繰り返さないために僕たちは伝えていかないといけな いと思いました。原発ははじめ、人のためを思って作られました。 ドイツ国民もヒトラーがドイツを救ってくれると思って選びました 。しかし原発は災害対策や危機管理ができていなかった。 ドイツはヒトラーへの抑止力がなかった。 この間違いが大きな悲劇をもたらしたのだと思います。 我々はこの「間違い方」を学びました。 これからの時代をつくるときにこの経験を活かすことができると思 います。 そのことが悲劇の中で亡くなってしまった人達への私達からの追悼 の気持ちを表す手段ではないかと思います。

家に着いた後、ホストマザーとこのことについて話しました。 お互い英語でなかなか伝わらない部分もありましたが、彼女は「D on’t forget(忘れてはいけないことだ)」と言ってくれました。 (WK)

 

 


ダッハウ収容所では空気がとても重かったです。 最初に歴史と記録などが展示されている場所を見に行った時に言葉 を失いました。事前学習などで調べ、 理解していたつもりになっていたのですが、 現実は想像以上に残酷でした。 私は収容所での出来事を歴史の一つだと今までは捉えていました。 けれど今日実際に元被収容者の描いた絵や使用されていた道具を見 た際にナチスの恐ろしさと残虐さ、 非人道的な行いのひどさを肌で感じました。

ガス室を見た際にさらに空気が重くなったのを感じました。 使われなかったのが不幸中の幸いと言ってよかったのでしょうか。 殺戮を目的として作り出された時点で罪はとても深いと私は思いま す。「夜と霧」(V. E.フランクル著)には、 最後の方の場面に死について書かれている文章がありました。 その場面についてSNさんと話しました。 収容所内では死が最大の幸福であると考えていたが、解放後、 彼らが受けた酷い仕打ちは死で償えるほど甘いものではなく、 心の傷を抱えて生きていかなければならないと解釈した文章があり ます。それらにとても心が痛みました。私は最近、 たまに死について考え、恐怖を感じることがあります。 それらを上回るほどの出来事だということを改めて考えさせられま した。私は今までとても幸せな生活を送ってきました。 それらが普通ではなく感謝すべきものであるのだ思います。

 私の中で虐殺や非人道的な出来事に関しては、 ナチス関連がもっとも多いのですが、 第二次世界大戦のときは日本も同じような仕打ちをしていた側でも あると思います。 これに関して日本の歴史の教育を少しでも変えた方がいいのではと 疑問を持ちました。

悲劇を二度と繰り返さないためには自分のこととして受け止め、 反省し、次へとつなげていくことが大切だと思います。(OA)