部活動紹介

【部活動】『社会起業部 広野町箒平フィールドワーク』

考査最終日の午後、広野町の辺境、 箒平集落にフィールドワークに出かけました。

生徒5人と案内人の青木さんを教員の3台の車に分乗し、町を流れる浅見川をさかのぼります。山麓線を超えると阿武隈山地。 勾配が険しくなり眼下に滝が見えました。この浅見川は町の水源になっており、学校の水もここから取水していると聞いて驚きました。車を降りて滝を見ながら「大滝さま」という滝つぼの女神の話を伺いました。

 滝から少し進んだところで、 道路は対向車とすれ違いが困難な一車線になります。その手前の川向こうの山容がいささか不自然です。実は広野のシンボルとなっている火力発電所の用地埋め立てのため 、山が削りだされたといいます。ここより下の道路が片側一車線となっているのは、火発へ土砂を運ぶためだったのです。

 箒平集落に入る手前、この場所に惚れこんで移住された松元さんのお宅にお邪魔しました。松元さんは熊本県を流れる球磨川上流の湯前町出身の72才。この間まで本校のサッカーグラウンド造営の現場監督をされていた 方です。就職し茨城県の潮来市に住んでいましたが、 震災復興事業で広野町に来て、現場事務所となっているこの場所に一目ぼれ。7年前に移り住んだといいます。ツリーハウス見学や川と戯れたあと、お話を伺いました。

 「不便はないです。不便を楽しむというか。モーターで汲んだ井戸水を屋根に流してクーラー代わりにしたり、ドラム缶風呂に入ったり、毎晩音楽を聴いたり、 星を見たりしています。動物も毎晩でる。タヌキ、キツネ、イタチ、カモシカも見たね。ここの夜を怖がる人もいるけど、自分は山育ちだから怖くない。町中より標高が350m高くて雪が降るけど、冬が一番好き。敷地に川が流れている所を長年探していて、 ここに来たときは興奮した。箒平もこんな素晴らしい集落があるのか、って感心したよ。熊本では限界集落が森に戻っているけど、箒平は区長さんが頑張ってくれてすごくきれい。ここなら三か月孤立しても自給自足できる。 水も山菜もあるからね。倒木とかで年5~6回は停電するけど、アナログ電話回線があるからそれで東北電力に電話すればすぐ直る 。光回線も町が早い段階で整備してくれた。町長も箒平を大切にしてくれている。広野町の宝だよ、ここは」

松元さんの家からさらに進むと、今までの山道からはちょっと想像できないような開けた場所に出ま した。ここが箒平。現在6世帯10名が居住、一番若い方で38才という限界集落です 。水田が広がり、まだ細くて小さな稲穂が風に揺れています。集落には久保田姓が多いとのことで、「山間のくぼんだ所に田んぼを拓いた」 という意味がありそうだと思いました。「逆くの字形」に展開する集落を車は進んでいきます。緩やかな傾斜にあわせて水田も段になっています。

 箒平は童謡「とんぼのめがね」の発祥の地です。いわき市四ツ倉の額賀医師が訪問診療でこの地を訪れた昭和23年 、子どもが遊んでいる風景を詩にしたためたことに由来するそうです 。車を降りて、久保田さんの家にお邪魔しました。池にはイワナ、水田にはオタマジャクシ、 木の枝にはモリアオガエルの卵、庭にもアケビ、イチジク、ユリなどがあり、 自然に囲まれた生活です。一方、水田の周辺はしっかりした石組みになっていて、ここのお家…集落の人びとが長い時間をかけて、 上手に自然にはたらきかけて生産活動を続けてこられたのが分かり ます。童謡に歌われるとんぼが集落を飛び回る秋や、松元さんが好きな冬の季節の箒平も見てみたいと感じました。

帰り道で、祭礼で使用する滝つぼの女神の仮宿を見ました。すぐそばに石碑群があり馬頭観音碑、庚申塔、念仏塔があるなか、ひときわ大きく「東堂山」と彫られた碑があります。小野町に東堂山満福寺(昭和世代には石のカンノのCMでおなじみ )という場所がありますので、むかしの広野の人たちが今日の私たちのように箒平に至り、そこから山を越えて、小野町に巡礼をした記念碑かもしれません。