部活動紹介

2021年7月の記事一覧

【部活動】 社会起業部 双葉町フィールドワーク報告

7月20日(火)地域を知り・伝え・盛り上げ、双葉郡の語り部となるための活動をしている、社会起業部の生徒たちが、「ふたばプロジェクト」さんによる双葉町フィールドワークに参加し、現在でも全町民が避難中である唯一の自治体である双葉町を知り、語り部として必要な知識を学びました。

まず始めに、震災以前・以後の双葉町の概要をうかがいました。原発事故のため、津波被災者救助が中断され、
助けられる命を助けられなかった、という話が印象的でした。

その後、街歩きをしました。まず目に入るのが取り壊された壁や、かつての旧店舗の側面などに描かれた壁画です。

   

 町の方が避難先の東京で出会ったOVREALLsというアート集団による作品で、アートで町を盛り上げる活動の一環だそうです。2階建て建物の壁面という巨大なものに写実的に描く技術に驚きました。また、絵の主題や隠喩として込められた復興の思いも味わい深いです。

 震災前後で変わらないものもあります。菜の花や桜が咲き乱れる前田川、川の魚をねらうアオサギも見られました。しかしそこに住んでいる人の姿はありません。一時帰宅するおじいさんはこう言ったそうです。
「おれは年だから大きな望みはねぇけど、ただもう一度、双葉の海や前田川で釣りがしてぇ。どこで何が釣れるか、頭ん中にはぜんぶ入ってんのに…」

 震災直後から時が止まったような場所があちこちに見られました。あの日停電で動かなくなったシャッターを突き破って出動した消防団屯所、「原子力 明るい未来の エネルギー」の標語の設置跡、あの日の子ども達の上履きが置かれたままの児童館、10年間、洗濯物が干しっぱなしのおうちなどです。

 それでも、復興の動きは見られます。壁画アート、駅前のミニバラ園、建物の解体と除染作業、見事な彫刻の屋根を残して再建された初發神社、「双葉への恩返しのため」と再開したガソリンスタンド、そして、駅西側に整備される帰還者向け住宅地「なりわい集落」などです。

質疑応答
Q.なりわい集落に戻った子供たちはどこの学校に通うのか?
A.教育委員会から示されていない。なみえ創生小中学校? 再来年再開の大熊の学校?

Q.ツアーをやる上で気を付けていることは?
A.時間が止まったところ/動いているところ、明るいところ/暗いところ 両方伝えられれば、と思う。暗い部分には課題が見えてくる。事実を伝え、考えてもらいたい。

Q.3.11以前、双葉町に旅行で来る人はいた?
A.サーフィンやバラ園を目的に来る人がいた。

Q.やりたいことがあっても大人の事情で駄目になったこと等あるか?
A.というより県や町から「駅の東側はどうするのか」など、復興・再生のビジョンがまだないのに気をもむ。民間で動くのも悪くないが、方向性がないと。

Q.8町村の広域連携は?
A.ふたばエイト(双葉郡まちづくり協議会)が先日結成された。双葉町が「一番後ろを走っている」のは先行に学べる利点ともいえる。双葉町は駅の立地もいいし、インターチェンジ・国道も近い。コンパクトタウンに向いている。

【部活動】社会起業部 湯本研修報告

湯本温泉に原子力災害考証館を創設した古滝屋の当主・里見喜生さんからお話を伺いました。以下に内容をまとめます。

 震災前、湯本温泉は年間8~9万人の利用者がいたけど、今では1万人。旅館数も3分の2になりました。これはもともとあった後継者不足という問題に震災がダメ押しした形です。古滝屋も設備の故障があったし、原発事故による食べ物の問題で「小名浜の魚は美味しいんです」というような宿の当たり前の会話が出来なくなったし、別府と箱根の友人から「こっちに引っ越して新しく始めたら」と言われていたし。どうしようか迷っていました。

 そんな時、裏の菩提寺のお墓を訪れ「祖先や父だったらどういう判断をしたか」と手を合わせました。

 勿論直接アドバイスはないのですが、行くと声が聞こえる気がするんです。祖先は戊辰戦争で全焼した旅館を復活させた。太平洋戦争の時の祖先は疎開先になり、困った人のため建物を提供した。戦後、炭鉱採掘によって温泉が枯渇したとき、祖母は10キロ離れた山から水を汲み、石炭で湯を沸かした。父はそういった先祖の歴史をまとめていた。

 代々の先祖の声が聞こえたような気がして、「温泉は出続けている。建物もある。戦争もしていない。そう考えると温泉と布団と枕があれば、人の役に立つことはできるのでは」と気づき、引っ越す気持ちはなくなりました。

最初に始めたのは教育委員会からの依頼で、双葉高校サテライト生の受け入れと、ボランティアの宿の受け入れでした。儲けはないけど、本望です。

現在行っているのが被災地のスタディツアーです。活動をしてSNSなどで交友関係が、全国・全世界に広がると、各地でお困りごとがあることが分かった。友だちの地域に困ったことが起こると、居ても立ってもいられなくなり、何とかできないのか、と思うようになりました。小さな一歩を重ねて、それに関心を持つ人を増やし、繋げています。

いわきにも未だ2万人の方が避難していますので、ここの旅館の1階フロアはコミュニティの場所として開放しています。ワークショップ、コンサート…。旅館だから〇〇、と決まっているわけじゃない。町のコミュニティセンターのようになればいいです。

 震災で自分が生き残ったのは紙一重です。そう思えば生き残った者として、命を引き継ぎより良い未来を作りたいです。(死んでも次世代の栄養になれば、と「ふよう土2100」というNPOも作りました)


質疑応答

Q.旅館の経営で一番大切にしていることは何ですか?

A.ほとんどの旅館はチェーン経営でなく、地場産業です。どんなマーケットになっても、例えば周りの人口が減っても「東京にでも行くか」となりません。そういうマーケティング論理ではなく、地域の中でお互いに支え合う場所としてありたいものです。古滝屋の300年の歴史をみると、経営が調子よかった時は地元に寄付をしていました。逆にバブル後など厳しい時は地域の方が法事やお祝いで利用してくれました。「人が泊まって、帰る」それだけの場所ではないのです。東京からの集客を重視する戦略もあるけど、もっと身近な人に色々な用途で使ってくれればと思います。遠くのお金持ちを見るのでなく、地元一人一人の顔をイメージできるような、家族の思い出を作るような宿を作りたいです。そうしていると案外、地域の人が東京の友達に紹介してくれたりしました。

Q.3.11前も地域活動していたのですか?

A.以前から市内の歴史や文化を調べ、料理人や職人と体験プログラムを企画していました。色んな業界の方とのつながりが下地となり、皆さんの体験を本音で聞き出すことが出来、スタディツアーガイドにつながりました。スキルも大事ですが、色々なジャンルの方と知り合いになるとガイドの厚みになると思います。

Q.私たちも双葉郡の語り部を目指しています。ものを伝えるとき気を付けていることは何でしょう?

 A.自分の経験をそのまま話すことです。こんな経験をしてこんなことを思った、と。きれいにまとめて、情報だけを与えたガイドをした時もあったけど評判悪かった。

Q.しかしこれからの世代は3.11を知らない世代となり、社会起業部の活動の担い手も震災を知らない世代になるのですが…。

 A.私も炭鉱世代ではないけど、話を聞いてできるようになりました。人から聞いた話と、それを聞いて自分がどう思ったか、心がどう動いたか、というのを話せばいいと思います。例えばあなたが、ふたば未来をなぜ選んだか、なんて思いを経験として話すことは、ガイドを受ける方も興味を持つと思います。意識されないかもしれないけど、いちえふに一番近い学校に通っているというのは、東京や大阪、海外からすると大きな価値だし、双葉郡の歴史のいちページにもなっているんですよ。そう考えると、毎日の感じたことを記録してみると10年後活かせたりするかも。歴史のど真ん中にいる自信をもって、さーっと流さずに学生生活を送ってください。毎日が貴重な経験です。そういうものをどんどん積み上げていってほしい。

Q.考証館を作った経緯はなんですか?

A.水俣の考証館に行ったとき、福島でも公的施設で拾いきれていないことを民間で残したいと思って。公的・民間どっちも見て欲しい。考証館では一人一人に目を向けた展示をしているので、総体的に考えてほしい。


考証館見学

3.11で命を落とした木村夕凪ちゃんの展示がしてありました。津波直後から大熊町や浪江町では巻き込まれた方の救助活動が行われえていましたが原発事故により、生き残っている人がいるなか、捜索が打ち切られました。生きていれば、もしかしたらふたば未来の仲間になっていたかもしれない夕凪ちゃんの遺品を目にし、生徒たちは黙考していました。

【中学校】初優勝 ディベート甲子園東北地区予選 中学特設ディベート部

 

 

 本校中学特設ディベート部が、第26回ディベート甲子園東北地区予選に参加し、2回目の出場で見事優勝(全国大会出場)を果たしました!

 大会は7月11日、オンラインで開催されました。論題は「日本は中学校高等学校の部活動制度を廃止するべきである。是か非か。」 生徒たちは論題発表から4カ月間、部活動の在り方について真剣に向き合ってきましたが、その成果が発揮された形です。

 全国教室ディベート連盟東北支部、またジャッジや役員として大会を運営していただいた皆様、そして何より対戦していただいた各学校の皆様に、厚く御礼申し上げます。