早稲田大学環境総合研究センター 永井祐二先生による 「豊島(てしま)産業廃棄物不法投棄問題と  処理事業における合意形成」 を以下にまとめます。 (昨年の原防ゼミへの講義内容も補足として混ぜました) ・・・・・・・・・・・ 福島の問題は水俣や広島と比較されるが、 豊島の問題とも似ています。 豊島は1975-90年に産業廃棄物(事業から出るゴミです)が 不法投棄されました。 県境にある島に、 それこそ日本全国からゴミが集まってしまった。 野焼きにされたゴミや、 廃油や複合的な金属が環境を汚染しました。 ここが福島とどういう関係があるかと言うと、 海の汚染につながる、 住民と業者の対立があったこと、 ゴミの島という風評被害があったこと、 世代を渡す長い問題になったこと、 など福島と似ているところです。 今もまだ継続中です。 当時の住民は抗議運動に立ち上がります。 しかし県は廃棄物ではないんじゃないか、 という見解を出していた。 これいまの皆さんの常識からするとわからないと思うんですが、 廃棄物をそもそもどうするか、 国内で合意形成ができなかった時代です。 「これは処理事業だから良い事業だ」 と説明されていました。 ゴミは豊かさの象徴であり、 誰かが処理しなくてはいけない、 環境問題は経済の二の次、という時代でした。 「エネルギーはどこかで作らねばならない」 ということで 福島に原発誘致がされたことと共通性があるのかな、 と思います。 1990年、豊島は香川県なのですが、 兵庫県警による捜査が入り 環境汚染がひどいと認識されます。 それでも香川県は放置し続けます。 住民は再び抗議行動に立ちますが、 知事は「住民はお金が欲しいんでしょ」と言いました。 島がわがままを言ってるんだ という印象を持たせるものです。 住民は県でなく国を動かす作戦に出ました。 人口当時1600人の島から県議を出しました。 しかしその代償として 「ごみの島」とよばれ風評被害を招きます。 被害を受けた島なのに、 みかんやいちごに豊島の名がつくと 「この名前じゃ売れん!」と。風評被害ですね。 事件が発覚して10年たった2000年に 公害調停(和解で決着)が成立し、 県知事も謝罪します。 2003年から処理事業が始まります。 廃棄物と汚染された土壌を含めると90万トンの廃棄物を 推定700億円をかけて処理しました。 国と県が費用を負担します。 隣の直島で焼却&溶融しました。 毒性があるものを無害化し、 金属などを再資源化します。 燃えた土(シリカ)はコンクリなどに。 環境にも良い処理をしましょう、 と住民も県などが検討した結果です。 この辺の合意形成は、処理水問題と似てます。 処理水はいちばんお金的に妥当なものを選択する という文脈でしたが、 豊島では環境も検討されました。 ※直島にはもともと三菱マテリアルの施設があり、 「産業で島を豊かに」というスタンスでした。 豊島は 「雇用が失われても焼却施設は作らない」としました。 島の抗議は補償交渉ではない (補償は何も勝ち取っていない)、 自然環境の回復を望みました。 技術検討委員会は 「将来世代に持ち越させない」という意識と 「未来世代に対しての加害意識」 を持って取り組んでいました。 福島の問題も長期にわたります。 将来世代に持ち越させない、 ということを課題とし、 取り組んでいければ、というのが見えてきます。 豊島の事件は、 環境行政を大きく転換するきっかけとなった事件です。 あいまいだった廃棄物定義や法制度が整備されました。 不法投棄をした業者は5億円ほどの費用が浮いたとされますが、 当時の法律では50万円ほどの罰金のみですんでしまった (破産に追い込まれましたが)、 その処理に税金から700億円かけることになりました。 福島の問題からはどんな教訓が引き出されるか、 議論していかねばなりません。 いま私たちが取り組んでいる ふくしま学(楽)会のモデルとなった、 豊島学(楽)会、 島の学校など今も取り組みが行われています。 現在、豊島にメガソーラー建設反対運動が起きています。 景観条例があるが弱く、阻止できない。 止めることが正しいかもわからないし、 よく話し合う仕組みを作るしかありません。 また今なお地下水の汚染がありますが、 地上のゴミが無くなったので、 運動のモチベーションが低下しています。 伝えていく努力が求められています。 40年たって関わった人も亡くなったし、 ゴミがなくなったので活動の維持が難しいのです。 高齢化が進む島なので島おこしの探究をしています。 直島や豊島で瀬戸内芸術祭が行われました。 (住民は「新たなごみが!?」と反対したが、  理解してもらいました) 豊島の自然の中にアートがあることに、観光客は感動します。 アートを見に来た人にも知ってもらいたいし、 外国人の意識高い人が産廃の現実を見に来ています。 産廃は、若い人にとって消してしまいたい過去ですが、 運動に関わってきた人にとって、 その延長線上にアートを置きたい。 産廃のイメージを覆い隠すのではなく、 アートを通じて 「産廃から自然を守った」という誇りにつなげました。 福島も原発・廃炉のイメージがついてしまっているものの 「環境法制度や再エネ議論が始まった福島」 と位置付けられれば。 水俣は埋めてしまったが、 豊島は徹底的な浄化の取り組みをしています。 でも最後ってどこか?  一応環境基準の水質を目指しているが、分かりません。