いわき法律事務所 弁護士 未来会議事務局長 菅波香織さんによる 「対話が未来をつくる〜8年間の未来会議を通して感じる無力感と希望」 を以下にまとめます。 ・・・・・・・・・・・ 被害の濃淡によって住民がお互いを誹謗中傷するような状況に悲しくなって 平成25年に対話の場として未来会議を作りました。 大人って対話に慣れ親しんでなくて、どちらかと言うと議論… 私の仕事も弁護士で、相手を言い負かす仕事だし。 議論じゃなくて対話が何かを生んでいくんじゃないかと思って地道に続けてます。 未来会議のルールとしては、 「相手が自分と違うことを考えててもいったんは受け止めよう」 というもの。傷つくこともありますが。 直接話を聞いたり、現地に行くっていうのも大事にしています。 富岡町の藤田さんは「友達が増えるのが復興」というのをおっしゃってます。 「友達が住んでる富岡町」だったら近しい存在になりますよね。 難しい地域だからこそ対話で新しいものを作れるんじゃないか… 対話は自分の意見を変えるためにするものだ、 っていうのも学ばせてもらってます。 対話の考え方のヒントとして 「群盲象を評す」という言葉が挙げられます。 盲人がなでる象の感触は間違ってはいないけど、 それが全体の正しい答えを表しているわけじゃない。 「自分は答えの一部かもしれない」 っていうのを頭に置いて対話をすると、 自分だけが正しい、ってことに陥らないですむ。 「どちらが正しい?」ではなく、違いにこそヒントがあるから 「なぜ相手はそう思うのだろう?」って考えることが大事だと教わりました。 「答えを共有しようとすると、信頼は生まれない。  問いを共有しようとすると、信頼が生まれる」(山口覚) という言葉をいつも頭に置いています。 双葉郡で色々やるときは「答えは住民の中にある」 という考え方も大事だな、って思います。 災害があるとガッ支援者がやってきて、 良かれと思っていろんなことがなされるけど、 持続可能じゃないこともありますよね。 その地域のあり方、答えは住民の中にある… ってことを国連ハビタットっていう災害復興の方から学びました。 「よそ者は口をだすな」という声が 無関心や他人事につながっていたんじゃないか。 未来会議をやっていった中で、 「ふるさとは増えてもいいじゃないか」っていう話も出てきて、 みんなで当事者意識をもってこの地域のことを考えるため 「浜通り合衆国」っていうバーチャルな建国をした。 2018年には廃炉について地域の人たちも考えたいと思い 「ハイロミライバー」を企画し、 お酒を自由に飲みながら語り合う 「どうなの?トリチウム」を開催した。 誰もが、グラデーションはありながらも関わりを持つ当事者ではと思う。 こういう活動を続けてきて、 この地域で暮らす私たちは 「この地域をどんな地域にしていきたいのか?」 の議論ができていないのでは? と思い 「はまどおりビジョンを考えてみっぺ!」や 「50年後への手紙」を企画しました。 そもそも私がこういう活動をするようになったのは、 弁護士としての賠償請求の仕事に限界を覚えたことがきっかけです。 原発事故の被害者にとって、 失ったものはお金に代えがたいものでした。 でも法律って損害賠償ってお金でしかできない。 そういう中で双葉郡の…特に高齢の方に事務作業を強いること、 自分は被害者なんだと長い歳月意識づけさせることがしんどくて、 賠償じゃなくっ違う役割を果たしたいな、って独立した。 二度と被害者をうまないためには、 「決定プロセスに自分も関わっていたと思えること」 「プロセスへの関与や納得感」が必要なのでは? と仮説を立ててずっとやってきました。 なので私の探究テーマは 「今回の原発事故のように  被害者として、誰かのせいにして  生き続けなければならない人を、二度と生みたくない。  そのためには、当事者として生きる人を増やすことが大事なのではないか?」 ということです。 早稲田大学のふくしま広野未来創造リサーチセンターの招聘研究員としても、 勉強したり発表したりしています。 「自分の無関心が、誰かを害している」と思えてたらいいな、と。 処理水についても、 ふたば未来の遠藤くんと一緒に対話の場に参加させてもらったり、 六ケ所村に行ったりしました。 公聴会に出たんですが、おじさんばかりなので、 男女比率とか年齢バランスも変えていかなきゃ、と思います。 私としては震災があったから、この社会が少しマシになった、と思いたい。 震災の教訓を、社会的側面で見つけたいと思ってやってます。 思い描く理想の社会は、 「住民と専門家が、互いに敬意を持ち合い、対等に知恵を交換し合う。  住民は一定の責任を引き受け、専門家は選択肢を示し、  住民の熟議をサポートし、熟議の上に合意がなされる」 って長いですけど、 そのためには対話かなって思って地道にやってます。 対話で傷つくこともあるけど、 そこを乗り越えないといけない、訓練が必要かなと思います。 いま問題なのが、自分が責任を持ちたくないって、 偉い人や知ってる人に決めてもらうとしちゃうこと。 「無知だから偉い人の言うことに従えばいいよ」 っていうのはまた被害者を生んでしまう。 去年もふたば未来の生徒さんと処理水について考えました。 何を大事にしているかと言うと、 「答え」を出す場ではなく、結論を保留し続ける… グレーのままで対話を繰り返すっていうのをやってます。 人って答えを出して安心したいし、 これまで教育も答えを出すのが求められてた。 日本財団の調べでは、日本の18才は 「自分は責任がある社会の一員だと思う」 「自分で国や社会を 変えられると思う」割合が低い。 大人になっても同じような割合になるでしょう。 他者批判をしていると、自分が変わる必要がないから、 楽だけど当事者から遠ざかってしまう。 当事者意識を持ち、主権者としての自律を促すには、 決定する権限だったり、 その裏にある一定の責任を引き受けられる大人が必要で、 そうなるためにはどうしたらいいか、 皆さんにも教えて貰いたいなって思います。 元麹町中学校長の工藤勇一さんという方がいるんですが、知ってます? 校則とかなくした人。 この間お話を聞いて、 こどもの自律を促すには、自己決定を繰り返すことが大事だよ、とか。 権限を与えれば、人は当事者になるよ、とか学びました。 みんな違っていることと 全員がOKという最上位の目標をいかに両立させるか… 難しいけど、これこそが対話を繰り返すことなんだよって教わりました。 じゃあ廃炉の何が最上位目標なのかって考えていきたい。 分断状況っていうのは結構簡単に起きてしまうんですが、 大事な最上位の目標って、 誰一人取りこぼさない、皆がOKできる目標って何だろう? という問いだと思う。 「問いを共有すること」で未来を創っていけたらと思います。