いわき市健康づくり推進課 猪狩僚さん 「福祉のigoku建康の極意」 を以下にまとめます。 ・・・・・・・・・・・ 地域包括ケア推進課っていうのは、 じじいとばばあがどう死ぬかみたいな話。 で色んなじじいとばばあの所に行った。 医療とか介護の人たちの勉強会にも行った。 介護の人が発表してて、 自分が担当していた人のことで泣いてた。 死んで悲しくて泣いてるんじゃなくて、 「もっと私ができていれば あの人は最後の三か月はもっと幸せに暮らせたかも」 って反省して泣いてた。 衝撃を受けた。 仕事のあと500円の参加料払って、 反省で泣いてるって。 おれ仕事終わったら焼き鳥くってんのに、 すげえな情熱、って。 人は介護が必要になったりすることがあるかもしれない。 でも最後自分の家で死にたいな、とか思った時、 そういう願いが叶う街にしましょうね、っていうのが おれが自分がいる地域包括ケアってなんなんだって考えた。 老人ホームに入るしかない、じゃなくて、 その家で死にたい人はそうできる。 でも医者や介護の人たちだけの頑張りじゃ無理で、 家族や近所の人も頑張らなくちゃいけない。 いろんな人たちが力を合わせないと、 家で死ぬっていうのは難しいこと。 それを作っていくのが地域包括ケアだ、 というのが分かってきた。 どのみちいわき市役所だけではやりきれない。 厚生労働省がとったアンケートを見ると。 7割くらいの人が家で死にたいです、と。 7割が家で死にたいのに、いわきでは11%。 これ乱暴にしちゃいけないんだけど、 家で死んだら幸せかか、 っていうと必ずしもそうじゃないんだけど…。 まあ7割の希望に1割…。 これまでも家で死にたいと思って かなわなかった人がたくさんいたんだな、 ってのが分かったわけです。 マザー=テレサの言葉に 「人生の99%が不幸だったとしても、 最後の 1%が幸せならば幸せだ」 ってのがあるんですが、 おれ逆に考えちゃったわけ 人生の99%がめちゃめちゃ幸せだったとしても、 最後の1%が不幸なら、 不幸なものに変わっちゃうんじゃないかって。 死にたい場所で死ねないってのは 最後の1%の不幸かもしれない、って考えた。 君たち風に言うと当時おれは 「死にたい場所で死ねないのはなんでだろう?」 って課題を見つけた。 仮説としては、 みんな死ぬことなんて考えたくないし、 それを話す社会ではないよなって。 家帰って夕食くってるとき、お父さんが 「お父さん死ぬときは家で死にたいんだ」 とか言ったらびっくりするじゃない。 だから家族であっても死ぬってことを話すのはなかなか難しい。 5~6年前の当時は、 おじいちゃんおばあちゃんが家で過ごすっていう選択肢もなかった。 自分でトイレとかに行けなくなったら 老人ホームに入らなきゃいけない。 病気になったら入院しなくちゃいけない。 今は相双地区もいわきも頑張ってて、 医療や介護の人たちも力を合わせて、 家で暮らすことが出来るサービスがある。 でも知られてない。 そもそも届いてない。 それが届いてたら、希望を持つかもしれない。 もしそれが家族に伝わったら家で最期を迎えられるかもしれない。 「情報が届かないこと」と、 「死ぬなんて縁起でもないことは話しにくい」 この二つが当時課題だと思った。 そのタブーを乗り越えて、 死について考えたことを話しあえる社会にしないと いつまでたっても死にたい場所で死ねない町のまんまだな、って思って… ここがigokuが生まれる瞬間だった。 でもおれ一人じゃできない、と思った。 役所の文書ってザラ半紙に字ぃいっぱいかいてあって、 読みたくないじゃないですか。 だからデザイナーのタカギさんに声かけて。 誰が文章書くんですか、じゃあ小松さんに。 タムラさんってのは映像をとる人で…。 課題解決方法は、 自分一人でやるんじゃなくてチームを組む選択をしました。 でigokuというのは何なのか、っていうと 情報を伝えることと、 直接体験するってふたつの軸があります。 どんなにデザイナーやクリエイターの力を借りて発信しても 死とか老いとかの暗いテーマは頭で拒否しちゃう。 直接体験するってイベント的なのをやった。 棺桶に入る…頭では嫌だよ、でも体に訴えかける。 入ってみると意外に居心地がいい。 一人おじさんが入ってくれた。 出たあと葬儀屋さんと相談してんの。 何かなと思ったら、パカッて開く窓ゆびさして 「おれ閉所恐怖症なんで、本番の時これもっと大きくできますか」 って。 真剣な顔で。 死んでんのにね。 (写真) このばばあリアルに死んでるように見えるじゃないですか。 これほんとにびっくりしたのは、 イベントの棺桶なんですけど 「私が今から入るので、この手紙を顔の周りにまいてください」 って謎の指示を出してきたの。 撒いた、で写真撮って 「なんだったんですか?」って聞いてみた。 そしたら今は一ミリも愛してないけど、 結婚前に旦那からもらったラブレターをずっととってた。 で私の本番では旦那のラブレターに包まれたいから 今日はその練習にきましてった。 むちゃくちゃだよな~。 楽しいこともやるわけ、 ラップがあったり演劇があったり。 死ぬとか老いるしかないんだよ。 でもおれはエンターテインメントの力で明るくポップに…。 というわけでigokuは情報発信、 それだけでは乗り越えられないタブーがあるので 直接五感に訴える、身体性に訴える。 VRで認知症のひとが見てる世界を見て貰ったり。 説教臭いのがやで…。 「認知症のひとにやさしくしましょう」 とか全く何の意味もないと思って。 こういうふうに見えてるんなら、 こういうふうに声をかればいいのかなって分かれば …っていうことを狙ってやりました。 発信したい、 何かを届けたいと思った時に僕たちが大事にしてたのは、 全部自分で行って自分でやるってこと。 自分たちが面白い、素敵だ、美味しいとか思わないものを 発信してもうけとってくれない。 どう届けるかいうのはテクニックもあるけど、気持ちをのせること。 (さっき見せてもらった「ルーブリックうちらの言葉で~」のパワポのスライド、  衝撃を受けた。まじでほんとにうちに採用したい) 見せ方とパッションの二つはバランスよく持つのは大事かなと思います。 とはいえ老いや死は関係ない人はいない。 タブーを乗り越えていった方がいい。 よりよく死ぬってことはよりよく生きるってこと。 ある日突然津波がやってきて 多くの人が死ぬっていうのを10何年前に経験した。 今日と同じ明日が続くとは限らない、 っていうのは浜通りで世代を超えて一緒に体験したことなので いつか終わりが来るんだ、っていうのを意識した方が、 今日という日はより良くなる。 人をちょっと行ってみようかな、 読んでみようかなって思わせるのは 気持ちとデザイン。 そう言う二つをバランスを持つのはいいことだと思います。 最後、いわきの川前、なんにもない。 病院も薬局も焼き鳥屋もない。 …もう無理ゲーだねって。 だけど地域包括ケア課だから、 川前で死にたいならそこで死ねるようにするんでしょ、 ハイ。地域包括やりましょうとなった。 何やりたいですか、何が必要ですかって聞いたら、 川前のひとはネジがとんでるのかな、 お店がないから居酒屋やりたい、って謎に言いだして。 公務員の福祉のひとなのに、居酒屋やったんですよ。 もう時間だから、このはなし全部できねーな…。 皆もいろんなとこ行けば行くほど、 自分のやりたいことだったはずなのに、 関わった人たちに巻き込まれていく瞬間ってあるんですよ。 ゲームつくりに川内に行ったときに、 ゴミ捨て手伝ってよとか草刈り手伝ってよ、って言われるかもしれない。 そういうとき 「それ僕たちのやりたいことじゃないです」っていう道もあるけど 面白そうだから乗ってみる、っていうものある。 最後宣伝、Facebook、Twitter、インスタ @iwakinogokui Youtubeは「いわきの極意」チャンネル。 いまは「おさかな減塩プロジェクト」ってやってます。 心筋梗塞の人が多いので。 課題見つけて探究するのは大人もおんなじ。