2024年1月の記事一覧
【商業】スペシャリスト商業(3年次)販売実習を行いました
福島県産の食材のおいしさと安全性を消費者へ伝えるため、福島県産の食材を使用して商品を開発し販売会を実施しました。商品開発ではMTG、試食、ラベル作成、POP作成なとを繰り返して商品の完成となりました。おさかなタルタル(浪江産ヒラメ入り)は、いわき市の西野屋食品本店で随時販売しております。かりんとう饅頭は、餡に楢葉産100%の果汁を使用した商品が完成し他10品目の開発した商品は1/13(土)よりマルトいわき地区全店舗で販売しております。実際に商品が店頭に並んだ際には、お客様からお褒めの言葉や、励ましの言葉を多くいただくことができました。また、福島産の商品についてほとんど抵抗なく購入していただけることを知ることができました。ありがとうございました。
1月27日(土)西野屋食品本店(なみえ産おさかなタルタルソース)
1月13日(土) マルト平尼子店
【高1探究】高遠菜穂子さんの国際理解講演がありました
1月23日(火)高校1年探究で、高遠菜穂子さんの国際理解公園がありました。
本校1年次の「地域創造と人間生活」は、「自分を知る」、「地域を知る」、「世界を知る」の3本柱を軸として授業を構成しています。自分のことをとことん掘り下げて振り返る「自分史」や、コミュニケーション・ワークショップ等よって「自分を知」った後は、地域に出て、人と出会い、お話を聞いたりフィールドワークに参加した中で「地域を知」り、その内容を演劇で表現してきました。
「世界を知る」では、世界で活躍する外部講師を招聘し、世界における様々な課題を知り、生徒自身がグローバル社会の一員である自覚を持つための大切なプログラムです。
今年も、イラクで約20年、エイドワーカーとして取り組んでいる高遠菜穂子さんに講話いただきました。
高遠さんには毎年講演をしていただいています。高遠さんの体験談を通して、地域が抱える課題を世界の課題と繋げて考え、世界平和や国際理解の意義を考えることを目的としています。
タイトル「戦争が与える影響〜人々の体と心に残る傷(トラウマ)〜」
戦争によって市民が受けるトラウマ(身体的外傷、心的外傷PTSD)について、お話を聞きました。
その際に印象に残った話が、兵士のトラウマについての話です。
「戦争はおぞましく、信じられないほど残酷だが、最初からモンスターはいない。残虐な米兵も家に帰れば一人の息子であり、優しい父親なのだ。想像してほしい。あなたが軍隊という装置の中で、反射的に攻撃できるよう訓練され、軍の規律に従うよう教育され、戦地の究極の緊張状態の中で「敵を戮滅せよ」という命令を受けたら、攻撃され、仲間の兵士が殺されたら、残虐行為をしてしまうかもしれない。でも、ある瞬間に自分が犯した「罪」を意識し、もう人を殺したくないと思っても、アメリカの軍法では、それは反逆罪になる。兵士のトラウマは、軍の名誉とされる行為が良心と折り合いがつかないことで生じてくるのだ。」
生徒達は、高遠さんから語られるイラクの現状とその熱量に圧倒されながらも、自分達の知識を広げようと真剣にその思いを受け止めていました。戦争が与える影響についてお話を聞く中で、目を背けたくなるような辛いお話もたくさんありました。ロシア・ウクライナの問題、イスラエル・パレスチナの問題など、ニュースでは知っていたけれど、実際に戦争・紛争が起こると、そこにいる罪のない国民はどんな被害を受けているのか、写真や映像、実際に紛争地で人道支援をしてきた高遠さんから聞く話はリアルなものばかりで、生徒達も最後までものすごい集中力でメモをとっていました。
講演会後は、演劇を披露しました。
高遠さんは、子供達のエンパシー(共感力)を養うため、イラクのドホークにて絵本の読み聞かせや演劇ワークショップを広める活動を始めました。きっかけは、なんと本校の取り組みを見たことだそうです。毎年、高遠さんの講演会の後に、こうして授業で作った演劇を披露して、意見交換をするようにしています。
今回は、ドイツ研修チームが現地で披露した英語劇を発表しました。
今回、高遠さんの他に、イラクで高遠さんと一緒に演劇ワークショップをしてきた
花﨑攝さん(シアタープラクティショナー)
大谷賢治郎さん(演出家、俳優、ワークショップファシリテーター)
も一緒に、振り返りに参加してくださり、様々な角度からフィードバックをもらいました。
ドイツ研修の報告もすることができました。
その後も多くの生徒が残り、19時近くまで質問が止みませんでした。
イラク復興と双葉郡の復興を重ねた生徒も多く、まずは身近な社会から変えていけるように頑張っていきたいと思います。
【中学1・2年】演劇ワークショップを行いました。
中学1・2年生が「演劇ワークショップ」に参加しました。
1年生は今回、台本をもとに演劇をする内容でした。
ただし、台本は2種類しかありません。同じ台本を使用してるグループもあり、台本の解釈や演出によって各グループの作品が違ってくるというユニークなものでした。
それぞれ試行錯誤したり、アドバイスをいただいたりしながら、面白い作品を作っていました。
一人一人がワークショップをとても楽しんでいて、それぞれの笑顔がとても眩しかったです。
授業では学べないことを思い切り吸収する時間になったことを願います。
2年生は、まず「最近むかついた話」「恋バナ」のテーマでグループ内で話をしました。
その後、その話の中から面白いと思ったエピソードを1つ選び、劇をつくりました。
キュンとする話からカメムシを捕まえる話もあり、色々な一面が見られる劇となりました!
令和5年度 ハイレベル講座(古典・現代文)を実施しました。
1月20日(土)、本校にてハイレベル講座(国語)を行いました。
代々木ゼミナールの漆原慎太郎先生、太田貴之先生をお招きし、高校1年生から2年生まで90名が参加しました。
古典を90分×3講座、現代文を90分×1講座と国語のみの講座でしたが、さすが予備校の先生、教え方が上手で話術も巧みなため、皆集中して講義を受けていました。
それぞれの課題を明確にすることができ、今後の学習へと繋がる講義となりました。次回のハイレベル講座は中学3年生もあります。乞うご期待!
【表現コミュニケーション】演劇の公演をしました
今年度から、3年生のトップアスリート・スペシャリスト系列の選択科目「表現コミュニケーション」が始まりました。
演劇的な手法を使った様々なワークショップを通して、コミュニケーションについて考える授業です。
授業が始まった当初、取材していただいた動画がこちらになります。
演劇教育からつながる探究へのまなざし|探究TV / 東洋経済education×ICT
https://www.youtube.com/watch?v=120F9qS3hVk
1年間学んできた集大成として、1つの作品を上演することになり、年末から稽古を重ねてきましたが、
その本番が今日の授業の時間内にありました。
この授業を取っている生徒の中に、演劇部は1人だけです。あとは野球部、女子サッカー部、レスリング部、その他スペシャリスト系列の農業、商業、福祉、工業などで活躍している人たち。おそらく演劇の舞台に立つのはこれが最後です。
本校の演劇担当教諭、髙山さなえ先生(劇作家・演出家)の作品「馬留徳三郎の一日」を、表現コミュニケーションの生徒たち用に20分の短い作品にしたものを上演しました。
【あらすじ】
山深い田舎の集落。馬留徳三郎と妻のミネは二人でここに住んでいた。
近所の認知症の年寄りや、介護施設から逃げて来る老人たちが馬留家に集まり、仲良く助け合いながら生活していた。
ある夏の日、徳三郎の息子、雅文から久しぶりに電話がかかって来た。
仕事でトラブルがあり、部下が間もなく馬留家に訪れると言う。そして、その部下(明らかに詐欺師)がやってくる・・・
セリフも、元々の長野弁から浜通り弁に変えて、自分たちのオリジナリティを加えながら稽古していきました。
高校生には想像するのが難しい認知症の老人の役を、髙山先生や福祉系列の生徒からアドバイスをもらいながら役作りをしていきました。
本番ギリギリまで稽古をしながら、細かいタイミングなどを練習していきます。
そして、本番!
授業中にもかかわらず、先生方や3年生のトップアスリートの生徒がたくさん見にきてくれました。
最後の感動的なシーン。徳三郎とミネが一緒に高校野球を見ています。
普段、それぞれの活動で忙しい中、短い授業の時間の中でよく頑張りました。
来週はいよいよ「表現コミュニケーション」最後の授業です。1年間の振り返りと、みんなでこの演劇の鑑賞会をしたいと思います。
【海外研修】ドイツ研修10,11日目(1/15,16)
朝7:00にホテルを出発しました。
まだ真っ暗な道路を、ミュンヘン国際空港へ向けて走りました。
途中、FCバイエルン・ミュンヘンのホームスタジアムとして使用されているアリアンツ・アレーナを通りました。
飛行機を待っている間も、ギリギリまで買い物をしたり散歩をしたりしながら最後のドイツを満喫しました。
行きと同じく、5時間のフライトの後、アブダビ国際空港で乗り換え。しばしの休憩の後、いよいよ日本に向けて出発しました。成田空港行きの飛行機の中から、少しずつ日本人が増え、日本語がきこえてきました。機内食に和食が出てきたあたりで、「日本に近づいているんだな」ということを実感したようです。そのくらい、現地では日本を感じるものは全くありませんでした。
ミュンヘンを出たのが1月15日の朝7:00、いわきに到着したのが16日の夜19:30
ということで、24時間を超える長旅でしたが、無事に戻ってくることができました。
親御さんの顔を見て、ほっとした顔を浮かべていました。
報告会等でこれから学びのアウトプットをしていく彼らに校長先生から激励の言葉をいただいて、解散しました。
翌日から普通の授業が始まり、生徒たちも時差ボケと闘いながら頑張ります。
この研修の報告会を、学校の中だけでなくより多くの方々に発信していきたいと思っています。
最後に、この研修を終えての一人一人の感想を紹介します。
K.Hくん
ドイツではLRT(路面電車)が走っているのは知っていたが、環境をよくするだけではなく、歴史景観を残しつつ環境に配慮して走っているというのを実際にこの目で見ることができて感動した。環境問題や政策について、日本とドイツとの共通点や違う点について考えた。
現地では、間違ってでもいいからコミュニケーションを取ることができるようになった。失敗してでもいいから挑戦のは重要だ。帰国後もこの気持ちを忘れずに様々なことに挑戦していきたい。
H.Sくん
フライブルクでは、一番興味があった環境について学ぶことができた。ボーバン地区の環境に配慮したしくみに感動した一方、喫煙率の高さとタバコのポイ捨てが気になり、人によって環境意識が違うんだなと思った。環境に配慮していると言われているが、本当に配慮しているのかは人それぞれで、そこはきちんと考えるべきだなと思った。
歴史については、広島研修に参加した時も思ったが、現地に来ないとわからないことがある。ダッハウ強制収容所では、ネットには載せられないような残酷な記録や写真もあり、ショックだったが、だからこそ歴史を知るべきだと思った。
ホームステイは楽しく、いい経験になった。意外と英語を喋れるんだなと思った。成長できた。
S.Kさん
ドイツに来て、日本は綺麗だと思った。タバコを吸っている人の数と、道に落ちているタバコのゴミを見て、ドイツは環境には配慮しているけれど、健康についてはそうではないかもしれないと思った。良いところは学びつつ、他の面についてはどうなのか、もっと考えていきたいと思った。
ダッハウの展示では、バラック(寝泊まりしていた場所)が信じられないほど寒かった。自分だったら耐えられないと思った。それを体験できたのは、ネットで調べたりするのとは全く違うと思った。
私は、言葉が通じないということがとてもストレスで、今まで海外にあまりいいイメージをもっていなかった。怖いと思ったり、ストレスを感じる場面があったけど、そういう面じゃないところも今回たくさん見えたし、来てみて楽しかったし、成長できたと思った。
一人だったら絶対に乗り越えられなかった数々の場面で、みんながいてくれてよかった。すごく嬉しかった。
M.Sさん
古着を集めるゴミ箱が道に設置されていたり、ホストファミリーの家でプラスチックなどのリサイクルゴミを出すとお金がもらえるシステムを経験させてもらったりした。道路の綺麗さは日本の方が綺麗だったが、ボーバン地区は自然が多くCO2への配慮も感じられた。歴史については、もっと予備知識をつけてくればよかったと後悔した。
ホームステイは全然喋れなかった。あとから考えればこう言えたな。って思うけど、その場でパッと出てこなくて、普段から英語を使うことの大切さを実感した。
S.Rさん
環境については、再生可能エネルギーが当たり前だし、人の意識もすごいと思った。なぜここまで意識が高いのか、そこが気になった。一方で、喫煙率とタバコのポイ捨ては意外だった。ドイツの環境政策がすごいからと言って、それを全て日本が真似するのは現実的ではないので、これからの事後研修で考えていきたい。
歴史については、ダッハウ強制収容所は第二次世界大戦終了後に解体されたため、本物ではなかったけど、あまりにもそこで起きたことが現実とは思えなくて、リアルに受け取ることができなかった。でも、見学している時、自分たちも寒かったけど収容されてた人はもっと寒かったんだろうとか、そういうことは感じることができた。
人については、多様な人たちがいてすごく良いと思った。日本は日本人ばっかりだからみんな同じ考えだけどドイツはそうではないと感じた。
ホストの部屋に家族の写真があって、家族を愛しているんだなと思った。いつも一緒にいたら大切さに気づかないけど、離れてその大切さを感じた。
日本のことをすごく聞かれたけど自分が日本のことを知らなかった。もっと自分の国のことを知らなればいけないと思った。
ホストファミリーとはスケートに行ったが、全然できなくて助けてもらった。話す言語が違くても同じ人間なんだなって思った。助け合えるんだなって思った。世界の様々な問題も、本当は助け合えるはずなんだよなと思った。
Y.Hさん
フライブルクのエコステーションで、スタッフの方から「この建物は、全て自然の素材でできていて、使わなくなったら土に還るようになっている」と言っていた。ポイ捨てされているタバコはどうなんだろう。地球の資源を表すオーバーシュートデーについては、ドイツは日本よりも早く資源が枯渇するという計算だった。モヤモヤした部分を、事後の研修で明らかにしていきたいと思う。
ダッハウについては、ナチスが行ったことは人々の心理を利用したもので、結局歴史と人の心情は切っても切り離せないものだと感じた。バイエルン地方の生徒はナチスの歴史について学ぶことが義務になっているそうだ。福島はどうだろう?本校と他の学校の知識の格差について考えた。福島県の生徒だけでも、世界で見れば福島県で起きたことだから、東日本大震災と原発事故について学ぶべきなのではないかと思った。
ホームステイ先では、ホストファミリーが選択肢を出して、私が答えやすいように工夫してくれた。そのホスピタリティに感動した。自分もそうありたいと思った。少しずつ言ってることがわかるようになって成長したと思った。
M.Kくん
まず、古い街なのに日本と違って建物が全体的にカラフルで、とても綺麗だった。フライブルク大聖堂の中を見た時に、ステンドグラスの絵が大聖堂の建設にあたって協力をしてくれた職業の絵になっていて、感謝の表し方が素敵だと思った。
環境についての取り組みが、日本よりも当たり前にできていることはすごいと思うし、どうすれば日本でもそういった取り組みができるだろうと考えた。一期生の先輩方が植えた木を見て、ふたば未来も歴史や伝統を作っているんだと思った。
演劇をやって、伝わったことが嬉しかった。頑張った甲斐があったなと思った。
ダッハウは、リアルな写真や展示がたくさんあってすごく気分が悪くなったけど、それはそれで学びになったし、そういう展示で見た人の感情を揺さぶることは、いいことだと思った。悲惨だけど悲惨な過去をオブラートに包まず。そのまま伝えることは、同じ歴史を繰り返さないために大切だと思った。
ホームステイは、貴重な経験をした。日本にはない。いろんなところに連れて行ってもらった。英語で会話をして伝わると最高に嬉しかった。別れは辛かった。思ったよりも辛かった。
S.Sくん
現地に来ないと学べないことばかりだった。
フライブルクでは太陽光で覆われた市役所や、橋の上にあった駅から見えたビルとか、景観保護をしながら街全体が政策として取り組んでいるのがわかった。ホテルの廊下の電気がこまめに消えるのに驚いた。また、トイレが有料ということにも驚いた。
ミュンヘンに行く途中で車が一気に変わり、フライブルクの環境政策の意識の高さをより感じることができた。
ダッハウは、現地にいって、見て、寒さを肌で感じて、当時の気持ちの悪さが伝わった。これだけのことをしたんだな。ナチスがやったことは、果たして全て悪いのかという疑問もドイツに来る前はあった。でもそんなものではカバーできないようなことをしていたんだなって思った。
ホームステイでは、正直、うまくやってけるか不安だった。でもみんないい人で、人柄に触れることができた。人を見た目で勝手に壁をつくるのはよくないと更に思った。
自分が成長できたところは、中学でニュージーランドに行った時はあまり喋らないで部屋にこもっていたが、今回はその時の反省を活かそうと思った。自分から殻を破ろうと頑張ったら、会話も思ってる以上に聞き取れたし話すこともできた。壁をつくらないことの大切さについては、現地にいかないとわからないことがある。百聞は一見にしかず お父さんが言っていた意味を理解した。
Y.Sくん
環境への取り組みについて、日本はまだまだだと思った。たとえば、容器の分を多めにお金を払って、リサイクルした時に返金されるシステムをデポジット制というが、これは日本ではあまりない。昔、ディベートでこういう話になった時に「ひとの生活の質を落とすのは良くない」という考えの人がいたが、デポジット制で生活の質が落ちることはないはずだ。環境に良いサービスにはお金を出すべきだし、もっと環境保護にお金を投じるべきだ。
ダッハウに行った時は、ショッキングすぎて思考停止してしまった。
凄惨だった。ヒトラーがユダヤの人たちを迫害したのは組織力を測ったり、ドイツ人の素晴らしさを確認するためだったと知り、怒りを感じた。
ホストファミリーは本当に優しくて紳士的で、見習うべきところがたくさんあった。ドイツ滞在中は遠慮せずにどんどん行動するようにした。
【中学校】「冬課題確認テスト」を実施しました
15日(月)に実施を予定していましたが、予定を変更して本日17日(水)に実施しました。
どの生徒も真剣な表情でテストに臨んでいました。
令和5年度ももうすぐ1年が経とうとしています。今月27日(土)には「第3回学力推移調査(※一般生のみ受験)」、来月13日(火)・14日(水)には「後期期末考査」があります。日頃の学習の定着度や学習習慣についてこの機会にもう一度見直し、次の学年への進級に向けて万全の状態を創り出してほしいと思います。
総合学科高等学校生徒研究発表会
1月17日(水)
第23回福島県総合学科研究発表会が本校アリーナ1で開催され、福島北、二本松実業、光南、小野、会津学鳳、いわき総合、相馬総合、ふたば未来学園の8校の代表生徒が参加しました。
午前中、展示発表部門が行われ、本校からはスペシャリスト系列商業3年の髙野睦斗さんが「福島の魚」、スペシャリスト系列工業3年の上田大雅さんが「廃材を使って、エレキギターを作ろう!」をテーマに発表しました。
午後の口頭発表部門では、スペシャリスト系列農業3年の佐藤愛心さんが、「私と楢葉とさつまいも」と題し、発表しました。
本校からの観覧者としてスペシャリスト系列の全ての生徒と、アカデミック系列1年の生徒が参加し、他校の発表も含め、多くの取組に触れました。今後の探究活動などの参考となったことと思います。
【海外研修】ドイツ研修9日目(1/14)
ホームステイ最終日の今日は、日曜ということもあり、それぞれがホストファミリーと過ごしました。
料理やおりがみ、ふくわらい等、日本から持ってきたもので日本の文化を伝える人たちも。
最後はホテルまで送り届けてもらい、涙涙のお別れでした。夕食の時間まで、抱き合って別れを惜しんでいました。ホストファミリーの皆さんもその様子を眺めながら目を潤ませていました。
ドイツの高校生にとっても、この交流は一生忘れられない思い出になったのではないかと思います。早速、ドイツと日本の生徒達によるグループチャットを作っていました。これからも交流は続いていくのだと思います。生徒達にとっても、友情を育んだことでお互いの国がより身近に感じたはず。世界を知る第一歩を踏み出しました。
みんなでディナーを食べた後の振り返りも、たくさんの学びと、一人一人の実感のこもった感想がたくさん聞かれました。特に、話す言語が違っていても助け合えるということ、間違えても良いからコミュニケーションを取ろうとすることの大切さを学び、世界の今の情勢に思いを馳せ、本当は助け合えるはずなのに、どうして世界では対立が起きているのかという話になりました。
また、現地の人たちのホスピタリティに感動し、今度は自分たちが恩送りをしていくべきだということを強く実感したようです。
この後は帰国報告会に向けたプレゼンテーションの作成と、報告書の作成が待っています。膨大な学びを、自分たちの言葉で言語化するための議論が帰国後も続きます。
まずは、無事に帰国したいと思います。
生徒のコメント(M.Sさん)
ホストファミリーとお別れする時、私はこの研修期間中、ずっと失敗を恐れていたことに気が付きました。
パートナーとは毎日のように頻繁に連絡を取りあって、会うのが楽しみになってきていました。でも、会う日が近づいてくると、だんだん緊張してきました。
実際に会ってみると、ホストファミリーのみんなはすごく優しかったです。それでも私は、なんでもない話をするのも英語だと上手く出来なくて、話すのを諦めてしまうことがありました。
最終日にお別れするとき、私のパートナーが私のところに来て、ハグをしてくれました。私よりも先に泣いていたのを見て、それだけ一緒に過ごした時間を楽しんでくれていたんだと思い、嬉しさと安心が込み上げてきて、涙が止まらなくなりました。色んなことを恐れて諦めていたけど、その必要はなかったと感じました。
今後も英語の勉強を頑張るモチベーションになりました。またいつか、自分の力でドイツに行って、みんなに会いたいと思います。
【海外研修】ドイツ研修7日目(1/12)
ホームステイ2日目、この日は朝からバスと電車で90分ほどかけてダッハウ強制収容所へ行きました。相変わらず、1/11から続く地域農民組合連合によるデモ等の影響で、地下鉄も本数が少なく、いつもより時間がかかったそうです。このデモは翌日にはおさまりました。
EMGでは、授業で必ずダッハウ強制収容所へ行くそうで、この日はその時に参加できなかったEMGの生徒も一緒に参加しました。
ドイツのミュンヘン北西部にあるダッハウ強制収容所は、ナチスが1933年に設立した最初の常設強制収容所でした。ダッハウ収容所は親衛隊の収容所護衛兵のトレーニングセンターであり、この収容所の組織と慣例がすべてのナチス強制収容所のモデルとなったそうです。
この日はマイナスの気温で、防寒着を着ていてもとても寒く、当時の人たちがこの寒さの中でも薄着で労働させられていたと思うと、その辛さは想像を絶するものだったはずです。実際に、疫病が流行ったり、体力が低下して亡くなった人もたくさんいたと聞きました。
「働けば自由になれる」と書かれた当時の門。実際はどれだけ働いても自由にはなれず、その先に待っているのは「死」でした。
この収容所の初期の囚人は、ナチスの政治に反対する活動家や、ドイツ共産党員、社会民主党員、労働組合員、エホバの証人、ロマ族(ジプシー)、同性愛者、常習犯で占められていました。一万人以上のユダヤ人男性が収容された(水晶の夜)と呼ばれる暴力の結果、ダッハウ収容所のユダヤ人の囚人数は、増加しました。そして、ドイツを発展させるために収容所の人たちは軍事工場や自動車製造、鉄道、また、新しい強制収容所を作るためなどの理由で強制的に労働を強いられていました。ドイツにとって強制収容所は大事な「産業」だったという事実を知り、私たちは言葉を失いました。
さらに、医師による様々な人体実験も行われていました。これらの実験の結果、数百人の囚人が死亡したか、回復不能な障害を負いました。そして、その障害を負った人や精神疾患を抱えた人を送り込む病院が、EMGがあるHaarにあります。EMGの生徒たちも、この記憶を忘れないために、当時の話を演劇にして発表するそうです。これが、EMGとふたば未来の共通点であり、そのこともあって、ずっと交流が続いているのです。
1939年に第二次世界大戦が始まり、囚人の数が増え、どんどん収容所が人であふれるようになりました。一人あたりの食料は減り、環境もどんどん劣悪なものになったそうです。そのことが良くわかる展示でした。
そして、重い気持ちのままマリエン広場へ移動し、授業を終えた他の生徒たちと合流。そこからはEMGの生徒のみなさんによる市街地ツアーでした。まずは聖ペーター教会の時計台に登りました。299段の階段を登って見えた景色は素晴らしいものでした。
その後は3グループに分かれて、様々な名所に案内してもらいました。EMGの生徒もその建物の歴史などを一生懸命説明してくれて、この日のために準備をしてくれたのだと思うととても感動しました。
生徒のコメント(S.Rさん)
手がかじかむとても寒い日でした。しかし強制収容所に入れられた彼らは私たち以上に苦しい寒さを経験していたのだと思います。身体的にも精神的にも私たちには想像できないほどに。ダッハウ強制収容所にはガス室がありましたが、使われることはなかったそうです。なぜならば使用する前に戦争が終わったからです。ゾッとしました。そして制服には収容された理由を示すバッチと番号が貼りつけられていて、腕にも番号が入っていたそうです。SSが彼らを1人の「人間」としてではなく数ある中の1つの「番号」としか扱ってなかったことを知り、胸が痛みました。ダッハウ強制収容所を見て、ドイツの黒い歴史を目の当たりにしました。とても悲惨な出来事に目を向けることは辛く、苦しいことでした。しかし私たちはその感情で止まってはいけないと思います。あの出来事から私たちは何ができるのか、何をしていかなければいかないのか考え、行動しなければいけないと感じました。