部活動紹介

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【中学校部活動】ソフトテニス部大会結果報告

 8月21日に相馬市で行われた夏季大会、9月11日に行われた相馬市長杯に参加しました。

 中体連を終え、1・2年生の新チームでの初めての大会への参加でした。どのペアもお互いに励まし合い、全力を尽くそうと精一杯プレーしていました。

 結果は、女子の部で佐藤・門馬ペアが夏季大会「準優勝」、相馬市長杯「3位」となりました。このペアも含めて、中学校からソフトテニスを始めた部員ばかりですが、日々練習に励んでいます。次は10月に新人大会に参加します。個人戦、団体戦の両方での県大会出場を目指します。応援よろしくお願いします。

 

【中学校ディベート部】全国大会3位入賞

 全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園)が8月7日(土)から9日(月)まで行われ、本校特設ディベート部が、見事全国第3位に輝きました。

 

 大会は各学校が十分な感染症対策を実施し、オンラインで行われました。オンラインでしたが、主催してくださった全国教室ディベート連盟の皆さんの優れた運営により、対面での大会に近い臨場感が実現していました。

  

 ディベート甲子園には各地区予選を勝ち抜いた中学24校、高校32校が出場。出場校は灘中、開成中をはじめとする各地区の名門校揃いということもあり、東北地区の学校が3位以上に入賞するのは、4年ぶりのことです。

 

 今年の論題は「日本は中学校高等学校の部活動制度を廃止するべきである。是か非か。」でした。生徒たちは、肯定側では「部活動顧問教師の過剰な負担を解消するべきだ」、否定側では「生徒の部活動での得難い体験に格差が生じるのを防ぐべきだ」との主張を展開し、立論、質疑、第1反駁、第2反駁までの論戦を通し、審判を説得できるかを競いました。

 

 生徒たちは試合ごとに審判の方から指摘を受けた課題を修正して次戦に生かすなど高い対応力を示し、またかみあったわかりやすい議論を展開し、今回の結果に繋げました。選手たちの頑張りに、大きな拍手を送りたいと思います。

 

 最後に、このような状況下で大会を開催していただいた全国教室ディベート連盟、また審判・スタッフの皆さん、そして何より対戦していただいた学校の皆さんに、御礼申し上げます。

【部活動】 社会起業部 双葉町フィールドワーク報告

7月20日(火)地域を知り・伝え・盛り上げ、双葉郡の語り部となるための活動をしている、社会起業部の生徒たちが、「ふたばプロジェクト」さんによる双葉町フィールドワークに参加し、現在でも全町民が避難中である唯一の自治体である双葉町を知り、語り部として必要な知識を学びました。

まず始めに、震災以前・以後の双葉町の概要をうかがいました。原発事故のため、津波被災者救助が中断され、
助けられる命を助けられなかった、という話が印象的でした。

その後、街歩きをしました。まず目に入るのが取り壊された壁や、かつての旧店舗の側面などに描かれた壁画です。

   

 町の方が避難先の東京で出会ったOVREALLsというアート集団による作品で、アートで町を盛り上げる活動の一環だそうです。2階建て建物の壁面という巨大なものに写実的に描く技術に驚きました。また、絵の主題や隠喩として込められた復興の思いも味わい深いです。

 震災前後で変わらないものもあります。菜の花や桜が咲き乱れる前田川、川の魚をねらうアオサギも見られました。しかしそこに住んでいる人の姿はありません。一時帰宅するおじいさんはこう言ったそうです。
「おれは年だから大きな望みはねぇけど、ただもう一度、双葉の海や前田川で釣りがしてぇ。どこで何が釣れるか、頭ん中にはぜんぶ入ってんのに…」

 震災直後から時が止まったような場所があちこちに見られました。あの日停電で動かなくなったシャッターを突き破って出動した消防団屯所、「原子力 明るい未来の エネルギー」の標語の設置跡、あの日の子ども達の上履きが置かれたままの児童館、10年間、洗濯物が干しっぱなしのおうちなどです。

 それでも、復興の動きは見られます。壁画アート、駅前のミニバラ園、建物の解体と除染作業、見事な彫刻の屋根を残して再建された初發神社、「双葉への恩返しのため」と再開したガソリンスタンド、そして、駅西側に整備される帰還者向け住宅地「なりわい集落」などです。

質疑応答
Q.なりわい集落に戻った子供たちはどこの学校に通うのか?
A.教育委員会から示されていない。なみえ創生小中学校? 再来年再開の大熊の学校?

Q.ツアーをやる上で気を付けていることは?
A.時間が止まったところ/動いているところ、明るいところ/暗いところ 両方伝えられれば、と思う。暗い部分には課題が見えてくる。事実を伝え、考えてもらいたい。

Q.3.11以前、双葉町に旅行で来る人はいた?
A.サーフィンやバラ園を目的に来る人がいた。

Q.やりたいことがあっても大人の事情で駄目になったこと等あるか?
A.というより県や町から「駅の東側はどうするのか」など、復興・再生のビジョンがまだないのに気をもむ。民間で動くのも悪くないが、方向性がないと。

Q.8町村の広域連携は?
A.ふたばエイト(双葉郡まちづくり協議会)が先日結成された。双葉町が「一番後ろを走っている」のは先行に学べる利点ともいえる。双葉町は駅の立地もいいし、インターチェンジ・国道も近い。コンパクトタウンに向いている。

【部活動】社会起業部 湯本研修報告

湯本温泉に原子力災害考証館を創設した古滝屋の当主・里見喜生さんからお話を伺いました。以下に内容をまとめます。

 震災前、湯本温泉は年間8~9万人の利用者がいたけど、今では1万人。旅館数も3分の2になりました。これはもともとあった後継者不足という問題に震災がダメ押しした形です。古滝屋も設備の故障があったし、原発事故による食べ物の問題で「小名浜の魚は美味しいんです」というような宿の当たり前の会話が出来なくなったし、別府と箱根の友人から「こっちに引っ越して新しく始めたら」と言われていたし。どうしようか迷っていました。

 そんな時、裏の菩提寺のお墓を訪れ「祖先や父だったらどういう判断をしたか」と手を合わせました。

 勿論直接アドバイスはないのですが、行くと声が聞こえる気がするんです。祖先は戊辰戦争で全焼した旅館を復活させた。太平洋戦争の時の祖先は疎開先になり、困った人のため建物を提供した。戦後、炭鉱採掘によって温泉が枯渇したとき、祖母は10キロ離れた山から水を汲み、石炭で湯を沸かした。父はそういった先祖の歴史をまとめていた。

 代々の先祖の声が聞こえたような気がして、「温泉は出続けている。建物もある。戦争もしていない。そう考えると温泉と布団と枕があれば、人の役に立つことはできるのでは」と気づき、引っ越す気持ちはなくなりました。

最初に始めたのは教育委員会からの依頼で、双葉高校サテライト生の受け入れと、ボランティアの宿の受け入れでした。儲けはないけど、本望です。

現在行っているのが被災地のスタディツアーです。活動をしてSNSなどで交友関係が、全国・全世界に広がると、各地でお困りごとがあることが分かった。友だちの地域に困ったことが起こると、居ても立ってもいられなくなり、何とかできないのか、と思うようになりました。小さな一歩を重ねて、それに関心を持つ人を増やし、繋げています。

いわきにも未だ2万人の方が避難していますので、ここの旅館の1階フロアはコミュニティの場所として開放しています。ワークショップ、コンサート…。旅館だから〇〇、と決まっているわけじゃない。町のコミュニティセンターのようになればいいです。

 震災で自分が生き残ったのは紙一重です。そう思えば生き残った者として、命を引き継ぎより良い未来を作りたいです。(死んでも次世代の栄養になれば、と「ふよう土2100」というNPOも作りました)


質疑応答

Q.旅館の経営で一番大切にしていることは何ですか?

A.ほとんどの旅館はチェーン経営でなく、地場産業です。どんなマーケットになっても、例えば周りの人口が減っても「東京にでも行くか」となりません。そういうマーケティング論理ではなく、地域の中でお互いに支え合う場所としてありたいものです。古滝屋の300年の歴史をみると、経営が調子よかった時は地元に寄付をしていました。逆にバブル後など厳しい時は地域の方が法事やお祝いで利用してくれました。「人が泊まって、帰る」それだけの場所ではないのです。東京からの集客を重視する戦略もあるけど、もっと身近な人に色々な用途で使ってくれればと思います。遠くのお金持ちを見るのでなく、地元一人一人の顔をイメージできるような、家族の思い出を作るような宿を作りたいです。そうしていると案外、地域の人が東京の友達に紹介してくれたりしました。

Q.3.11前も地域活動していたのですか?

A.以前から市内の歴史や文化を調べ、料理人や職人と体験プログラムを企画していました。色んな業界の方とのつながりが下地となり、皆さんの体験を本音で聞き出すことが出来、スタディツアーガイドにつながりました。スキルも大事ですが、色々なジャンルの方と知り合いになるとガイドの厚みになると思います。

Q.私たちも双葉郡の語り部を目指しています。ものを伝えるとき気を付けていることは何でしょう?

 A.自分の経験をそのまま話すことです。こんな経験をしてこんなことを思った、と。きれいにまとめて、情報だけを与えたガイドをした時もあったけど評判悪かった。

Q.しかしこれからの世代は3.11を知らない世代となり、社会起業部の活動の担い手も震災を知らない世代になるのですが…。

 A.私も炭鉱世代ではないけど、話を聞いてできるようになりました。人から聞いた話と、それを聞いて自分がどう思ったか、心がどう動いたか、というのを話せばいいと思います。例えばあなたが、ふたば未来をなぜ選んだか、なんて思いを経験として話すことは、ガイドを受ける方も興味を持つと思います。意識されないかもしれないけど、いちえふに一番近い学校に通っているというのは、東京や大阪、海外からすると大きな価値だし、双葉郡の歴史のいちページにもなっているんですよ。そう考えると、毎日の感じたことを記録してみると10年後活かせたりするかも。歴史のど真ん中にいる自信をもって、さーっと流さずに学生生活を送ってください。毎日が貴重な経験です。そういうものをどんどん積み上げていってほしい。

Q.考証館を作った経緯はなんですか?

A.水俣の考証館に行ったとき、福島でも公的施設で拾いきれていないことを民間で残したいと思って。公的・民間どっちも見て欲しい。考証館では一人一人に目を向けた展示をしているので、総体的に考えてほしい。


考証館見学

3.11で命を落とした木村夕凪ちゃんの展示がしてありました。津波直後から大熊町や浪江町では巻き込まれた方の救助活動が行われえていましたが原発事故により、生き残っている人がいるなか、捜索が打ち切られました。生きていれば、もしかしたらふたば未来の仲間になっていたかもしれない夕凪ちゃんの遺品を目にし、生徒たちは黙考していました。

【中学校】初優勝 ディベート甲子園東北地区予選 中学特設ディベート部

 

 

 本校中学特設ディベート部が、第26回ディベート甲子園東北地区予選に参加し、2回目の出場で見事優勝(全国大会出場)を果たしました!

 大会は7月11日、オンラインで開催されました。論題は「日本は中学校高等学校の部活動制度を廃止するべきである。是か非か。」 生徒たちは論題発表から4カ月間、部活動の在り方について真剣に向き合ってきましたが、その成果が発揮された形です。

 全国教室ディベート連盟東北支部、またジャッジや役員として大会を運営していただいた皆様、そして何より対戦していただいた各学校の皆様に、厚く御礼申し上げます。

【部活動】吹奏楽部「福島県高等学校音楽学習発表会」への出場(6/21)

 本日、福島市のとうほう・みんなの文化センターで開催された「福島県高等学校音楽学習発表会」の小編成部門に、本校吹奏楽部が参加してきました。

 本校の吹奏楽部は、「聴いてくださる方全員に感動を!」をモットーに、中学生と高校生が合同で活動をしています。中高6年生が一緒に演奏しているところが大きな魅力です。

 コロナ禍で思うように活動のできない日々が続いていますが、今回、音楽学習発表会で、大きなホールで演奏できたことはとても貴重な経験となりました。
 来月に控えている吹奏楽コンクール地区大会に向けて、まずは感謝の気持ちを忘れないようにして、心を一つに、今できる精一杯の練習に励んでいきたいと思います。

【部活動】『社会起業部 広野町箒平フィールドワーク』

考査最終日の午後、広野町の辺境、 箒平集落にフィールドワークに出かけました。

生徒5人と案内人の青木さんを教員の3台の車に分乗し、町を流れる浅見川をさかのぼります。山麓線を超えると阿武隈山地。 勾配が険しくなり眼下に滝が見えました。この浅見川は町の水源になっており、学校の水もここから取水していると聞いて驚きました。車を降りて滝を見ながら「大滝さま」という滝つぼの女神の話を伺いました。

 滝から少し進んだところで、 道路は対向車とすれ違いが困難な一車線になります。その手前の川向こうの山容がいささか不自然です。実は広野のシンボルとなっている火力発電所の用地埋め立てのため 、山が削りだされたといいます。ここより下の道路が片側一車線となっているのは、火発へ土砂を運ぶためだったのです。

 箒平集落に入る手前、この場所に惚れこんで移住された松元さんのお宅にお邪魔しました。松元さんは熊本県を流れる球磨川上流の湯前町出身の72才。この間まで本校のサッカーグラウンド造営の現場監督をされていた 方です。就職し茨城県の潮来市に住んでいましたが、 震災復興事業で広野町に来て、現場事務所となっているこの場所に一目ぼれ。7年前に移り住んだといいます。ツリーハウス見学や川と戯れたあと、お話を伺いました。

 「不便はないです。不便を楽しむというか。モーターで汲んだ井戸水を屋根に流してクーラー代わりにしたり、ドラム缶風呂に入ったり、毎晩音楽を聴いたり、 星を見たりしています。動物も毎晩でる。タヌキ、キツネ、イタチ、カモシカも見たね。ここの夜を怖がる人もいるけど、自分は山育ちだから怖くない。町中より標高が350m高くて雪が降るけど、冬が一番好き。敷地に川が流れている所を長年探していて、 ここに来たときは興奮した。箒平もこんな素晴らしい集落があるのか、って感心したよ。熊本では限界集落が森に戻っているけど、箒平は区長さんが頑張ってくれてすごくきれい。ここなら三か月孤立しても自給自足できる。 水も山菜もあるからね。倒木とかで年5~6回は停電するけど、アナログ電話回線があるからそれで東北電力に電話すればすぐ直る 。光回線も町が早い段階で整備してくれた。町長も箒平を大切にしてくれている。広野町の宝だよ、ここは」

松元さんの家からさらに進むと、今までの山道からはちょっと想像できないような開けた場所に出ま した。ここが箒平。現在6世帯10名が居住、一番若い方で38才という限界集落です 。水田が広がり、まだ細くて小さな稲穂が風に揺れています。集落には久保田姓が多いとのことで、「山間のくぼんだ所に田んぼを拓いた」 という意味がありそうだと思いました。「逆くの字形」に展開する集落を車は進んでいきます。緩やかな傾斜にあわせて水田も段になっています。

 箒平は童謡「とんぼのめがね」の発祥の地です。いわき市四ツ倉の額賀医師が訪問診療でこの地を訪れた昭和23年 、子どもが遊んでいる風景を詩にしたためたことに由来するそうです 。車を降りて、久保田さんの家にお邪魔しました。池にはイワナ、水田にはオタマジャクシ、 木の枝にはモリアオガエルの卵、庭にもアケビ、イチジク、ユリなどがあり、 自然に囲まれた生活です。一方、水田の周辺はしっかりした石組みになっていて、ここのお家…集落の人びとが長い時間をかけて、 上手に自然にはたらきかけて生産活動を続けてこられたのが分かり ます。童謡に歌われるとんぼが集落を飛び回る秋や、松元さんが好きな冬の季節の箒平も見てみたいと感じました。

帰り道で、祭礼で使用する滝つぼの女神の仮宿を見ました。すぐそばに石碑群があり馬頭観音碑、庚申塔、念仏塔があるなか、ひときわ大きく「東堂山」と彫られた碑があります。小野町に東堂山満福寺(昭和世代には石のカンノのCMでおなじみ )という場所がありますので、むかしの広野の人たちが今日の私たちのように箒平に至り、そこから山を越えて、小野町に巡礼をした記念碑かもしれません。

【部活動】中体連相双地区大会(Part3)

 大会結果報告は第3弾!卓球部です。

 6月3日(木)南相馬市小川町体育館で熱い戦い!

 本校からは、男子4名・女子2名がシングルス戦に出場しました。

 県大会出場を目指し、日ごろの練習の成果をぶつけていきます。

 随所にいいプレーを見せ、実力を発揮するも県大会への壁は高く、出場権を手にすることはできませんでした。

 ですが、試合の中で相手のプレーに合わせ対応していくなど成長を感じさせる場面も多数ありました。

 今回の試合の悔しさを最大限生かしながら、次の大きな大会「新人戦」に向けて練習に取り組んでいきます。応援ありがとうございました。

 (試合会場は撮影禁止でしたので練習風景より)

 

 さて、3日間にわたって中体連相双地区大会の結果報告を行ってきましたが、7月には陸上部・バドミントン部が県大会に出場します。県大会での活躍にも期待しています!

 また、明日は前期中間考査です。地域共同スペースや図書室で学習に取り組む生徒の姿がありました。こちらも全力で取り組み、実力を発揮して欲しいですね。バドミントン部は、朝から鉛筆を持って特訓していました!